俳文「俳句の中の熊と生活」
秋田国際俳句ネットワーク会長
蛭田 秀法
熊の毛皮
熊の皮敷きし横座や冬至の来 秀法
熊の皮敷きし座敷の花菖蒲 田中冬二
昨日獲て秋日に干せり熊の皮 相馬遷子
熊の毛皮はとても丈夫で重宝されていた。防寒機能が優れ背中を温めることのできる大きな素材として需要があった。民家の座敷でも敷物に使われていた。子供が4人程座れるほどの大きさで、熊の毛は5センチくらいあり、なめらかで、防寒や敷物には良い感じであった。現在は、民宿やお土産店などで装飾品として使われている。
熊の胆
熊胆(ゆうたん)は、クマ由来の動物性の生薬のこと。熊の胆(くまのい)ともいう。クマの胆汁を乾燥したものである。熊胆の効能や用法は中国から日本に伝えられ、飛鳥時代から利用され始めたとされる熊の胆は、奈良時代には越中で「調」(税の一種)として収められていた。
健胃効果や利胆作用など消化器系全般の薬として用いられていた。苦みが強く、漢方薬の原料にもなっていた。
江戸時代になると処方薬として一般に広がり、東北の諸藩では熊胆の公定価格を定めたり、秋田藩では薬として販売することに力を入れていたという。
しかしながら、現在は、昭和46年の薬事法の改正により、狩猟民がかつてのように取引ができない状況になっている。
風呂吹や火棚に吊す熊の肝 菅原多つを
熊の胆とは、胆のうのことで、胆汁(液体)を貯えておく袋状のものである。胆のうを破らないように取り出し、すぐ麻糸で口をきつくしばる。
その後、囲炉裏や風呂吹きの火棚に吊るして乾燥させる。半乾きになったら板にはさんで形を整え、ひもできつく結わえ、さらに室内で乾燥させて仕上げる。完成品になるまで一ヶ月余りを要する。
熊の胆を嘗め越中の寒きかな 旭
大寒や苦き熊の胆乗り越える 秀法
熊の胆の少し売らるる霧の小屋
北見さとる
クマの胆は、漢方薬の中では、最高級品。効能は慢性の胃腸病、食中毒、疲労回復、二日酔いなど、万病に効く薬として取り引きされ、昔からマタギの貴重な収入源であった。
阿仁マタギ
秋田県北秋田市阿仁町は、全国のマタギにとって重要な意味を持つ地域である。延慶2年(1309)、阿仁で発見された阿仁鉱山(昭和53年閉山)は、かつて日本一の銅の産出量を誇り、奈良の大仏にもその銅が使われたと伝えられている。銅のほかにも金や銀を産出し、鉱山の町として栄える一方、この地域には山深い谷で狩猟生活を営む集落が点在していた。それが、阿仁マタギである。
マタギ資料館は、「打当温泉マタギの湯」に併設されている。資料館には、国重要有形文化財に指定されたマタギの装束や狩猟道具、行商用具などが多数展示されており、マタギ文化・ブナ帯文化を知るうえで見学必須のオススメ施設である。
ここに、旅マタギが常に持参していたマタギ秘伝の巻物のコピーがある。
また、地元にマタギがいない所に移住し、その土地にマタギの文化を伝えた例も少なくない。このように、阿仁マタギは、東日本各地で広く活動した日本を代表する狩猟民として知られている。
巻物の教えを胸に旅マタギ 秀法
阿仁にはいくつかのマタギの集落がある。代表的なのは根子(ねっこ)、打当(うっとう)、比立内(ひたちない)である。少しずつ狩猟の方法に違いがあり、それぞれの出自は根子や打当が平家の落人が祖、比立内の起こりは日光から来たマタギが祖と言われている。マタギ発祥の地である根子は、旅マタギの数が最も多く、次いで打当、比立内の順であった。
坂を上り、車一台しか通れない延長576mの根子トンネルを抜けると、根子集落に至る。まさしく隠れ里のような村である。狭く暗いトンネルを抜けると、一気に視界が開け、隠れ里のような集落が姿を現す。1600年以上前、陶淵明が創作した「桃源郷」の世界と極めて似ていることに気付くであろう。根子は、「にほんの里100選」(主催:朝日新聞社/森林文化協会)に選ばれている。
マタギの村では、食料自給のための農耕は、主として女の大事な仕事であった。このほか、春の山菜、秋のキノコ採取や木の実をひろって調整するのも女の大事な仕事のひとつであった。
男は、冬から春にかけての猟期には狩りが主であったが、夏には川漁を行うことも多かったし、「熊の胆」などの売薬行商に出る人もいた。狩猟が下火になった現在では、山仕事や条件の良いところでは、農業を主とする人も多くなっている。
熊撃ちに行くとふ微笑髯の中 遠山陽子
阿仁マタギは、第2次世界大戦前までは、東北地方はもちろん、新潟、長野、岐阜、富山、奈良方面まで、クマやカモシカを求めて旅に出ていた。旅マタギの遠征は、仲間数人で、1ヶ月から3ヶ月ぐらいに及んだ。
熊撃ちの近寄りがたき傲りかな 山口冬男
現地の山に着くと狩小屋を建て、食糧が乏しくなると、10日ぐらいごとに最寄りの村に下山。農家などから獲物の肉や胆と交換に米、味噌を補給した。そうした便宜を図ってくれた民家を「マタギ宿」と呼んだ。
ひとり煮て熊鍋妻子なかりけり 石川桂郎
昭和7年、根子集落の記録によると、戸数84戸のうち、男76人が農閑期に鳥獣の毛皮、クマの胆の行商に出ている。行き先は、20都道府県に及び、樺太のサハリンに出掛けた者もいるくらいだ。村中は、マタギによってうるおっていたと言われる。
熊撃のはにかんでゐる春炉かな 茨木和生
当時を知る古老は「昔は冬になると村中の男がいなくなった。5,60人のマタギがいたが、村に残るのは10人くらいだった」という。旅マタギは、現地に優秀な猟師が少なく獲物が多い場所を選んだ。 腕自慢のマタギが集中している地元で全員が狩猟をすれば、乱獲となってたちまち獲物がいなくなる、などが旅に出る大きな理由であった。
共存
熊の出る村まさかりの幟立つ 萩原麦草
蜂蜜を熊にとられな冬仕度 龍岡晋
熊出るといふ立札の新しく 関口美子
熊よけの鈴を響かせ登山帽 安部恵子
迷ひ熊一村湧かす木の芽晴れ 林民子
熊除けの鈴高らかに登校児 和田和子
校庭を熊が眺めてゐたりちふ
相生垣瓜人
熊除の鈴打ち鳴らし下校の子 大島鋸山
村営バス揺るたび熊除け鈴鳴れり
高澤良一
熊がでて仕事にならぬ杣飯場 田島緑繁
熊でるまではなんでもなき山路
大塚信太
熊出でて村に夜番の組まれけり
芝山喜久子
落葉にさまよふ子熊人里に 秀法
柿の木に居座る子熊柿を食ふ 秀法
木枯らしに子熊さまよい公園に 秀法
冬眠や倉庫の隅に潜む熊 秀法
除雪中物置小屋に眠る熊 秀法
ベルリンの熊
ドイツの首都ベルリンは「クマの街」という異名を持ち、まさしくクマがシンボルである。市旗も市章もクマ、ベルリン定番のビール、ベルリナー・ピルスナーのロゴもクマ、ベルリン国際映画祭の最高賞も金のクマである。
ベルリンのシンボルはクマであるがその由来として、ドイツ語でクマを意味するベーア「Bär」またはベーリン「Bärin」がベルリンと発音が似ていることにちなんだという説が有力である。
熊の文字ベルリンの名に残りけり 秀法
13世紀ぐらいからワシに代わって紋章にクマが出てくるが、その後はベルリンの象徴として、多くの場所でクマが登場するようになっている。ベルリン中央駅にも大きなクマの置物が立っていて、今では市のイメージがクマになっている。ベルリンは「クマの村」という地名の由来もあり、熊は親しまれている動物である。街中を歩けば、ポップアートと呼べるようなユニークなクマのオブジェ(バディベア)にそこかしこで出会えるのである。
ベルリンの昔を偲ぶバディベア 秀法
ベルリンの守護神のごとバディベア 秀法
現在は、ベルリンの発展とともに「クマ=都市の守護獣」という認識が強まり、愛される存在となっている。市内の至るところにクマの像 「バディベア」が設置されており、観光客を出迎えるマスコットとして活躍している。ベルリンの人々にとって、クマはアイデンティティそのものを表しているが、ドイツではクマは絶滅しているのが現状である。
参考文献
・マタギ資料館
(北秋田市観光文化スポーツ部観光課
森吉山推進室/
マタギの里観光開発株式会社)
・「俳句季語一覧ナビ」
季語/熊を使った俳句
・全国マタギの本家「阿仁又鬼(マタギ)」
(森と水の郷・
あきた森づくり活動
サポートセンター総合情報サイト)
・伝説のマタギの素顔とは?
故・松橋時幸さんの信条/
秋田県阿仁マタギ本家
(男の隠れ家デジタル)
・日本最後の縄文人「マタギの里 阿仁」
(「司馬遼太郎の街道をゆく」を旅する)
・ベルリンのシンボルが
熊なのはなぜなのか。
(レファレンス共同データベース・
提供館岡山県立図書館)
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