天長地震後1200年
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世界物語遺産
天長地震は天長七年(830年)一月三日朝、秋田城を通り、北東に北5km付近の震央を持った大地震であった。一瞬にして城郭が崩壊、城内の建物も倒れた。死者や負傷者も出た。城の近くを流れていた雄物川や上流の旭川や太平川にも災害が発生した。また、近くの丘陵地である勝平山も災害を受け、山麓に作られていた集落が根こそぎ崩壊した。大雪の降る中での大惨事であった。
天長地震の発生以来、約1200年が経過したが、今もって地域の人々の生活や文化など多岐にわたって大きな影響を与えている。本シリーズでは世界物語遺産を取り上げます。
秋田城
世界地図における位置
出羽国における位置
現代における模型
世界物語遺産
世界物語遺産
「海から上がったおむすび地蔵さん」
秋田市の新屋勝平地区に勝平寺というお寺があります。
この勝平寺には、たくさんのお地蔵さまが祭られています。
これは、そのお地蔵様にまつわるお話です。
昔、漁師の網元の船に身の丈一五〇センチほどもある大きな二体のお地蔵様が引き上げられました。
「おや、これはどうしたことだ。
お地蔵さまが網に掛かるなんて。
これも何かのご縁だ。
だいじにお祭りすることにしよう。」
網元に引き上げられたそれら二体のお地蔵様を大切にお運びしてお祭りすることにしました。
しかし、年月が経つうちに、一体が行方知れずになってしまいました。
その後一体のお地蔵様は、百年以上も前から代々民家のおばあさんの家で大切に祭られていました。
ある日、その家のおばあさんが不思議な夢を見ました。
家でお祭りしているお地蔵様が枕元に立ち、こう言ったのです。
「おばあさん、毎日お参りしてくれてありがとうございます。
ほこらの中でいつもきれいでいられるのは、おばあさんのおかげです。
お供えもしてもらい私は本当に幸せです。実は私は妹がいる姉妹地蔵です。
でも妹は雨ざらしになっているのです。妹はお結びが大好きです。きっとおなかをすかしていることでしょう。
どうかお結びを持っていってあげてくれませんか。」
おばあさんは目の前に浮かんだ妹地蔵の顔に見覚えがありました。
「あっ、このお地蔵様は勝平寺のお地蔵様だあ。すぐに行ってあげなければ。」
実は勝平寺には、いつの頃からか海の安全を守るお地蔵様が祭られているのですが何度向きを変えても海の方を向いてしまうという言い伝えがありました。
その勝平寺のお地蔵様が自分の家で代々お祭りしていたお地蔵様の妹地蔵と知ったおばあさんは翌日さっそく夢のお告げどおり、おむすびとお茶をもってお寺に出かけ、お供えしたのでした。
するとどうしたことでしょう。
その夜、おばあさんはまた夢を見ました。
今度は妹地蔵が出てきたのです。
「おばあさん、おむすびやお茶を供えてくださって、どうもありがとうございました。」
妹地蔵は石の背中が見えるほど深々と頭を下げて、おばあさんにお礼を言うのでした。
夢からさめたおばあさんは、
「ああ、このお地蔵さまたちはいきているんだぁ。
大切にしていかないといけないなあ。喜んでくれてよかった、よかった。」と思いました。
しかし、自分がだんだん年を取っていくことを思うと、この先のお地蔵様のことが心配でなりません。
そんなある日のことです。
おばあさんの夢にいつもお参りしている姉地蔵が出てきたのです。
姉地蔵はおだやかなやさしい顔でおばあさんにこう言いました。
「なにも案ずることはありませんよ。私たち姉妹は納まる時がくれば必ずあるべき場所におさまることでしょう。」
おばあさんは姉地蔵の言葉を心の支えに、今も大切にお地蔵様をお祭りしています。
とっぴんぱらり の ぷう
霊地石山
秋田城跡に近い勝平山の山麓にある県雄物川公園の高台、石山の地は古来より霊地として崇拝されている。
聖徳太子像をはじめ、石山観音像、馬頭観音像、善光寺如来像、延命地蔵菩薩像、稲荷神、さらに石山平和観音像、三十三観音像が祀られている。
石山の丘は慰霊と祈りの場であるが、明るい未来の創造のために思案する「弥勒菩薩半跏思惟像」も未来の救済のために祀られている。
隣接地には、石龍山勝平寺が建立されていることから霊地石山は勝平寺の霊場になっている。
聖徳太子と仏たち
秋田城には、聖徳太子にゆかりのある四十六寺の一つ、出羽・四天王寺が建立されていた。観音様を本尊、四天王を守護神とし、国家と民を守る祈りの場であった。
現在、聖徳太子は石山の霊地に祀られている。
「和を以て貴しと為す」という語句が七世紀の始めに制定された『十七条憲法』第一条に記されている。聖徳太子が提唱した「和の心」は古今東西南北、未来永劫にわたって世界平和のための原点である。
勝平寺
勝平寺の歴史は古く、古代から勝平山の山麓にあり、地域住民の信仰を集めていた。
しかし、平安初期天長七年(733年)正月三日の大地震は秋田城を壊滅し勝平寺もまた砂に埋もれ、千四百年余りの間、幻の寺とされていた。
現在の勝平寺は高柳高城和尚が地域の人とはかり、昭和三十九年(1964年)七月に復興開山、爾来、石龍山勝平寺として人々の信仰のより所となっている。
延命地蔵
延命地蔵様は左手に願いをかなえる宝珠、右手に悪を追い払う錫杖を持ち、子どもを守る神さまとして信仰されてきたため、小柄で可愛らしい姿をしている。
「子どもが健やかに育つように」と、魔除けを意味する赤い頭巾や赤いよだれかけがつけられている。
世界物語遺産
天長地震後1200年が経った今日、秋田城跡に近い勝平山の山麓にある石山の霊地の周辺に住む人々に伝わって来た話が世界物語遺産として編集された。『海から上がったおむすび地蔵さん』という絵本である。
勝平寺の霊場にあるお地蔵様にまつわるお話である。
「この話を子供たちの手で絵本にしてみたい・・・」という秋田市立勝平小学校の第一期生の齊藤光子さんの願いから、勝平小学校の図書員会による絵本の製作が始まった。
このお地蔵様のお話は勝平地域に住む網元や住民から採録された話でこの地域の故老の言い伝えとして存在していた。
漁師によって海から引き上げられた二体のお地蔵様にまつわる話です。ある夜、おばあさんに夢でお告げがあり、いつもお参りしているお地蔵様に妹地蔵があって、それが現在行方知れずになっており、雨ざらしになってひもじい思いをされているというのです。そこでおばあさんは妹地蔵を探しだし、おむすびとお茶をお供えして手厚くまつったというのです。
「おむすび」は私たちを生きながらえさせてくれる食べ物です。しかしもう一つ大切な意味があります。「むすび」は今までなかった新しいものが生まれることを意味しています。
日本古来の文化では、「いのち」のことを「ひ」と呼び、漢字は「霊」の字をあてて「産霊(むすひ)」と書き表しました。つまり「むすび」は新しい霊(いのち)が生まれるという意味でもあるのです。
おばあさんがお地蔵様におむすびを差し上げたのは、お地蔵様を無意識のうちに生きた霊(いのち)と捉えたからに他なりません。全てのものを生きていると見なす—ここに日本文化の豊かさを見ることができます。
このような話が勝平寺に残っていますが本当に素晴らしい民話です。ちなみに、おばあさんの夢に出て来た妹地蔵様は石山の霊場に立っている延命地蔵様です。
供句
心こめ握るおむすび春の朝
春の海おむすびの味かみしめる
おむすびや力の入る網起こし
春の丘おむすび地蔵海望む
霊地石山の夕日
春の丘今日も事無く暮れ行けり
秋田国際俳句ネットワーク
蛭田秀法
参考資料
・秋田城とは?
秋田市観光文化スポーツ部 秋田城跡歴史資料館
・石龍山 勝平寺 ―千年時空―より
・『海から上がったおむすび地蔵さん』世界物語遺産
共同編集 秋田市立勝平小学校 図書委員会
一般財団法人 カミーノ秋田
著者 さいとうみつこ
印刷 株式会社 三戸印刷所
2011年 平成23年9月9日
製本 時田製本印刷 株式会社
2011年 平成23年10月1日
・写真 秋田国際俳句ネットワーク 蛭田秀法



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